50th SPECIAL INTERVIEW
HI-TEC PEOPLE #008 <後編>
HIROCK x 高木 完
1974年にイギリスで創立した、アウトドア・ライフスタイルブランド<HI-TEC>のウェブコンテンツ<HI-TEC PEOPLE(ハイテック・ピープル)>
このたび、ブランド50周年を記念したスペシャルコンテンツとして、インタビュー1回目に登場いただき、表現の場を選ばないマルチなアートディレクターとして活躍する「ハイロック」さんと、80年代より藤原ヒロシとのユニット<タイニー・パンクス(TINY PUNKS)>や、日本初のクラブミュージックレーベル<メジャーフォース(MAJOR FORCE)>などをはじめ、ヒップホップや海外カルチャーを日本に伝導しながら、東京カルチャーを生み出し、牽引し続けているレジェンドの「高木 完」 さんが登場。
インタビューの前編に引き続き、後編でもHI-TEC創立から年代ごとのブランドの歴史やシグネチャーモデルを紐解きながら、その時代時代のファッションや音楽、カルチャーとともに、2人の当時の活動やエピソードなど、現在のシーンへ続くカルチャーのルーツが垣間見れるインタビューをお届け。
また今回は50周年を迎えたHI-TECに向けて、高木 完と、メジャーフォースの設立メンバーであり世界トップクラスのサウンドクリエイター「K.U.D.O」 さんの2人に特別に選曲いただいた、HI-TEC限定のスペシャルなプレイリスト<RESPECT COVERS> を配信。
さらにHI-TECとメジャーフォース、ハイロックデザインオフィスの豪華トリプルコラボTシャツ<HI-TEC x MAJOR FORCE x HIROCK DESIGN OFFICE スペシャルコラボレーション Tシャツ>も制作。他では絶対手に入らないコレクタブルなアイテムを、アンケートページより応募いただいた方から抽選で「50名様」にプレゼントします。
ブランド50周年にふさわしいスペシャル企画。皆様のご応募お待ちしております。
※<HI-TEC限定プレイリスト RESPECT COVERS>と<HI-TEC x MAJOR FORCE x HIROCK DESIGN OFFICE スペシャルコラボレーション Tシャツ>は、こちらのページのインタビュー下部に掲載しています。
Tシャツはコラボっぽく3つのロゴを並べた方がいいかなって。HI-TECのロゴもカッコイイしね。
- 前半に引き続き、後半でもその時代ごとのファッションや音楽、カルチャーのお話しとともに、2人の当時の活動やエピソードなどお聞かせいただけたらと思っています。
続いて80年代後半ですが、なんといっても、高木 完さん、藤原ヒロシさん、中西 俊夫さん、K.U.D.Oさん、屋敷 豪太さんの5人により、日本初のクラブミュージックレーベル<メジャーフォース(MAJOR FORCE)>の設立ですね。88年よりレーベルはスタートしていますが、きっかけはどのようなものだったのでしょうか?
高木:メジャーフォースはMELONのメンバー3人と、<タイニー・パンクス(TINY PUNKS)>の僕ら2人で集まって、何かやろうってのが始まったきっかけだね。けど、はじめは当時のMELONの事務所が提案してきたから、自分たち発じゃないんだよね。名前は「M」を頭文字にするのが決まってて、それで僕が最初「メガフォース」って名前を付けた。
ハイロック:そうだったんですね!
高木:けど、ある時テレビ見てたら、メタルバンドのアンスラックスのPVが流れて、曲名と一緒にレーベルの名前が出ててたんだけど、それがメガフォースだったんだ(笑)で、ダメじゃんってなって、じゃあ「メガ」を「メジャー」に変えようってなってメジャーフォースにしたんだ。
ハイロック:ちなみにロゴはどなたがデザインしたんですか?
高木:あれはトシちゃん(中西 俊夫)が手書きで書いて、それをその頃イラストレーターの湯村 輝彦さんのデザイン会社のフラミンゴスタジオにいた関根くんにキレイにしてもらった。
ハイロック:それは知りませんでした。
高木:関根くんはスチャダラパーのロゴも作った人で。パプリック・エネミーのターゲットロゴはエリック・ヘイズがデザインしたけど、元の絵はチャックD だから、メジャーフォースで言うなら、チャックDがトシちゃんで、それをエリック・ヘイズのようにキレイに仕上げたのが関根くんって感じ。
- 92年にはメジャーフォースからスチャダラパーが大ヒットし、そこから一躍日本にヒップホップが裾野まで広がっていきましたが、今振り返ってもすごい功績だと思います。
高木:最初のうちは大変だったけどね。でも「今夜はブギーバック」からもう30年経ってるってすごいよね。
- それとメジャーフォースはロンドンのレコードレーベルのモー・ワックス(MO’WAX)を設立したジェームス・ラベルなどにも影響を与えるなど、日本のみならず世界に東京カルチャーを発信していく、レーベルを超えた伝説的な存在となっていきました。2018年には30周年を迎えメジャーフォースを再始動されましたが、何かきっかけはあったんでしょうか?
高木:もう去年で35周年になってるけどね(笑)再始動のきっかけは、エイプ・サウンズ((B)APE SOUNDS)が終了したこともあってメジャーフォースをもう1回やろうかっていって始めたんだよね。
- 2018年にレッドブルと30周年のイベントもやられていて、それに合わせて完さんとK.U.D.Oさんのインタビューのほか、藤原ヒロシさんやNIGOさんをはじめとした豪華なメンバーも登場される動画や特集記事なども公開されてましたね。
高木:そう、すごいいいタイミングでできたよね。それからFILAやネイバーフッドとコラボレーションしたり、曲も頼まれていくつかやったりもしたかな。ボンジュールレコードとかともコラボ企画もあったし。
- 今回はHI-TECの50周年記念企画として、このインタビューとともに、HI-TECとメジャーフォース、ハイロックさんとのトリプルコラボレーションのTシャツを制作しています。
高木:Tシャツはコラボっぽく3つのロゴを並べた方がいいかなって。HI-TECのロゴもカッコイイしね。
ハイロック:それと完さんがもともとパンクだから、今回はセディショナリーズのTシャツを意識して、裏返しの仕様にしています。ボディをオーバーダイのものにしたり、プリントもひび割れ感のあるクラックプリントにしたりで、当時のヴィンテージアイテムみたいな雰囲気にしたいなって。
- リバーシブルでも着れるような仕様になっていて、かなり凝ったアイテムに仕上がりそうですね。今回は3つのカラーを制作してますが、どのカラーも古着っぽいカラーリングで可愛いです。
また今回はTシャツとともに、完さんとK.U.D.O さんには50周年を迎えたHI-TECに向けた限定のプレイリストも制作いただいています。
高木:メジャーフォースは音楽レーベルだからね。ホントはオリジナルの音も作れればいいなって思ったけど、今回は僕とK.U.D.Oくんとでプレイリストを制作してみました。
- まさに50周年にふさわしいスペシャルなTシャツとプレイリストですね。出来上がりを楽しみにしています。
あんまりみんなが履いてなさそうな見慣れないスニーカーって惹かれるんだよね。
- 続いて、話は80年代から90年代となりますが、その頃からはアウトドアとスポーツの融合がより盛んになり、HI-TECでは1989年にウルトラマラソン用にトレイルランニングとロードランニングのハイブリッドモデル「BAD WATER(バッド・ウォーター)」がベストセラーとなったり、さらに90年代にはこちらの「ADVENTURE RACER(アドベンチャー・レーサー)」というモデルを発売しています。
高木:このモデルもいいよね。かなり90年代っぽい。
- こちらにあるADVENTURE RACERは、2017年から展開されたHI-TECのハイエンドライン「HTS74」のコレクションでリバイバルしたものになります。
高木:やっぱりあんまりみんなが履いてなさそうな見慣れないスニーカーって惹かれるんだよね。ちょっと失礼かもだけど(笑)
- また80年代にアディダスやナイキによって生まれたスニーカーカルチャーは、90年代に「ハイテクスニーカー」が登場することで、さらに大きなブームとなっていきました。
ハイロック:ハイテクスニーカーといえば、やっぱりエアマックス95だよね。
高木:あれはニューヨークでも流行ってたな。僕もブームに抗うことなく普通に買ってたもん。流行ってるって聞いてじゃあ買ってこうかなみたいな。
ハイロック:それとハイテクではないかもだけど、当時はノースウェーブのスニーカーが流行りましたね。たしか位置づけとしてはスノーボードのオフシューズだったと思うんだけど。
- ノースウェーブも90年代を象徴するスニーカーの1つですよね。アフタースノーがコンセプトで、スノーボードブーツみたいなボリュームのあるデザインとソールで大ヒットしました。
高木:あれは最初にギタリストのナチュラル・カラミティの森くんが何故か履いてて、それをヒロシが気に入ったってのをうっすら覚えてる。
- 90年代前後あたりから、藤原ヒロシさんがグッド・イナフのブランドを始められ、NIGOさんがア・ベイシング・エイプ、ジョニオさん(高橋 盾)がアンダーカバーと、自分たちのオリジナルのファッションブランドを続々とスタートしていき、さらに原宿にノーウェアのショップができたことから、一気に裏原宿ブームが到来しました。当時ハイロックさんは学生だったかと思いますが、その頃はよく原宿に買いに行ってましたか?
ハイロック:ちょうど高校生の時だね。東京に行くと必ず行くショップのコースが決まってて、原宿から渋谷まで周ってたんだけど、群馬から行ってたから全然買えなかった。ファッション雑誌の情報だと1ヶ月遅れで、東京に行った時にはもう目当てのアイテムは売り切れてるっていう(笑)
高木:雑誌の情報は遅いもんね。ちなみに僕はヒロシやNIGOたちがブランドやるっていう時は、あ、そうなんだって感じで俯瞰してたんだよね。
ハイロック:そういえば完さんってそれだけファッション好きだから、自分のブランドをやるとかはなかったんですか?
高木:その頃、僕にも話がなかったわけではないんだけど、それをメンターというか音楽の師匠のヤン富田さんに相談したら「完ちゃん、二足のわらじはダサいよ」(笑)
ハイロック:(笑)
高木:その時はまさに自分のソロアルバム作ってる時で、「せっかくアーティストでバーンていこうとしてる時じゃん?やんない方がいいと思うよ」「それだったら作品に集中した方がいいんじゃないの?」って言われて、そうっすよねって言って。だからそのヤンさんの一言がデカくてファッションはやらなかったんだよね。
ハイロック:じゃあ可能性としてはゼロじゃなかったんですね。もし完さんが洋服作ってたらどうなったのかなって想像しちゃいますけどね。
高木:ファッションやってたら今ここにいないだろうし。あれから今現在まで継続して残ってる人ってそんなにいないよね。だから逆に残ってる人たちは本当にすごい。今なんてみんなもう世界に行っちゃってるしね。
- 90年代の完さんはソロアーティストを中心に活動されていたということで、アルバムなどもいくつかリリースされていますが、もともとどのような流れがあったんでしょう?
高木:ソロはメジャーフォースをやってる途中からだね。最初はレーベルの運営とかプロデューサーとかをやってく方にしようとしてたんだけど、スチャダラパーが出てきて楽しそうにライブやってるのを見て、僕もやりたいなって思ってね(笑)それでソロライブとかやるようになったの。
- たしかライブの時にダンサーもつけられてましたよね?
高木:そう、その当時何やったら一番いいかなと思ったら、あんまりダンサーつけてる人もいなかったからやってみようかなって。89年ぐらいにLAのTV番組で日本でも一部で話題になってたラップアタックっていう番組があって、それを見たらほとんどのラッパーがダンサーつけてたから、これはダンサーつけなきゃ駄目だと(笑)
ハイロック:それは早いっすね(笑)
高木:で、とにかくダンサーつけようってダンサー探したんだよね。カッコよくなかったらやだなって思って、それで当時ラッパーのECDが若い子のラップのイベントに全部行ってたから、探してもらって紹介してもらったの。ソロでやるからメンバーがいない分そのほうがいいみたいな。あと当時日本でラッパーではそういうのをやってないし、僕がダンサーと一緒に出てきたら驚くだろうなと思って。
ハイロック:そういえば数年前にNIGOさんがアディダスとコラボレーションした時に、プロモーションムービーで完さんもダンサーたちと一緒に出てましたよね。
高木:そうそう、ブレイクダンスのダンサーを出演させたりね。
ハイロック:日本でアディダスといえばやっぱり完さんなので、NIGOさんのその発想も面白いけど、完さんへのリスペクトのすごさもわかりますね。
やっぱりNIGOとかファレルが変えたんだよね。カニエもエイプに初めて来た時はすごい紳士だった。
- 2000年代では、90年代からの裏原宿ブームがさらに盛り上がっていき、エイプも多角的に広がり世界的なブランドとなっていきます。この頃にハイロックさんはエイプに所属されますが、完さんがNIGOさんと深く関わっていくのはエイプの音楽レーベル、エイプ・サウンズからですか?
高木:そうだね。エイプ・サウンズはちょうどK.U.D.Oくんがモー・ワックスでNIGOのレコードを作るっていうときの流れだね。
ハイロック:K.U.D.Oさんは当時ロンドンに住んでたんでしたっけ?
高木:で、K.U.D.Oくんが日本に帰ってくるタイミングで一緒にエイプ・サウンズやろうよって言って始まった感じだね。2000年前後から2010年代ぐらいまでだから、00年代はエイプ・サウンズにいる時間が一番長かった。
- 当時はスペースシャワーTVでBAPE TVという番組も放映されましたね。
高木:番組もエイプ・サウンズからの流れだったね。
ハイロック:完さんはYOU THE ROCKさんと一緒に番組のパーソナリティでしたもんね。ちなみにエイプ・サウンズからリリースされた音源は全部完さんとK.U.D.Oさんが絡んでたんですか?
高木:ほぼ全部絡んでる。CHERIEのアルバムが代表作かな。KAWSがまだ出始めの頃にアルバムジャケットやってもらって。KAWSは今では世界的な現代アーティストで人気だけど。あと、ちびまる子ちゃんの作者のさくらももこさんに書いてもらったジャケットもあったね。
ハイロック:子供のイラストのジャケットのやつですよね?その場にいたのに知らなかった(笑)
- その頃は裏原宿のファッションやカルチャーに影響された海外のアーティストも原宿に通い始めた時期ですかね。原宿にはグラフィティーアーティストのフューチュラとスタッシュがプロデュースしていたRECONというショップもありました。今日ハイロックさんもフューチュラのキャップ被られていますね。
高木:ファレルが来たのもその頃かもしれないね。たしかファレルが日本で何かやりたいって言ってスタジオみたいなところを探していて、そのときにエイプに来たんだよね。で、その時にNIGOの生き方とか考え方とか集めてるモノとか見て衝撃を受けて。なんだコイツはみたいな(笑) もうスタジオどころじゃないっていって、だんだんファレルとNIGOがソウルメイトみたいになっていったんだよね。
ハイロック:ファレルのNIGOさんへのリスペクトってすごいですもんね。
高木:はじめて会った時からもうそうだったんだよ。やられたって。そのときの衝撃がそのまま25年ぐらい続いてるわけでしょ?今ではその2人が世界のファッションのトップになってるってすごいよね。
- ホントそうですよね。今ではファレルはルイ・ヴィトンのメンズデザイナー、NIGOさんはケンゾーのデザイナーとして世界のファッション界を牽引しています。
高木:あの時の出会いがなかったらそういうことなってなかったよね。数年前に亡くなっちゃたけど、ファレルの前にヴィトンのデザイナーをやってたヴァージル・アブローもいなかったと思う。ヴァージルもファレルがカニエ・ウェストをNIGOに紹介した時に一緒にいたわけだし。
ハイロック:今に続くファッションの流れがあのときのあのビルでの出会いがあったからだですね。あとデザイナーでいうと、ディオールなどのデザイナーをやってるキム・ジョーンズもそうでしたね。
高木:キムはロンドンのギミー・ファイブってチームにいて、メジャーフォースのロンドンでの活動の近くにいたんだよね。
- そういえば先日JAY-Zが来日してたとき、完さんもお会いしてましたね。
高木:実は来るのは前から知っていて、プライベートパーティーの選曲を頼まれてね。JAY-Zはsacai着てて。もうヒップホップは昔のファットなイメージではなくなったんだなって(笑)
- (笑)でも、今は世界のファッショントレンドにヒップホップミュージシャンが大きく影響していますよね。
高木:それってやっぱりNIGOとかファレルが変えたんだよね。カニエもエイプに初めて来た時はすごい紳士だった。緊張しているようにも見えた。
ハイロック:当時NIGOさんが社長部屋から焼いたカニエのCDもってきて、これ知ってる?っていってみんなで聞いてたの覚えてますね。BAPEストアの音楽もNIGOさんが毎月レコード買ってそれをCDにして各店舗に配ってたんですよ。
高木:そうだそうだ。当時はJAY-Zがトップみたいな感じで、その下にファレル、カニエみたいな感じだったよね。
ハイロック:でも本当に裏原宿でやってたことってめちゃくちゃ早かったっていうのがよりわかります。ブランドとブランドのコラボレーションとか、アーティストとの取り組み方とかもそうですし。ストリートとハイブランドを合わせちゃうとか、今のファッションの源流にもなっていますね。
高木:そうだね。ストリートとハイブランドの合わせは、87年とかにERIC B & RAKIMが偽物のヴィトンとかグッチとか着てたからそういう流れはあったけど、まさか本当にくっつくとはね。僕もヒロシとふたりでシャネルのサングラスを神戸で買ったけど、当時のGFに結局あげた。当時番組でもJJギャルみたいなのを呼んで、そういったブランドを教えてもらう、みたいな企画をヒロシとやったよ。そのヒロシも今はハイブランドの仕事もしています。感慨深いね。
ハイロック:確かに(笑)
- タイニー・パンクスやメジャーフォースは、今の世界のファッションやカルチャーの原点として語られていますが、もともとは完さんや藤原ヒロシさんたちが、国内外のいろいろなものをミックスし、なんでもアリっていうスタイルを作り上げ、東京カルチャーとして発信していたところから、NIGOさんが影響されてエイプに繋がり、そこからファレルなどはじめ世界規模で影響っしていったという時系列を、当事者である完さんから直接お話しを聞くことで、原点と言われる所以がよりよくわかりますね。
やっぱり自分の中だけで完結しちゃうんじゃなくて、外に出すことが大事。
- 2000年代前後からは、フジロックやサマーソニックなどをはじめ野外フェスが増えていきながら、近年ではコロナ禍中にキャンプブームが到来するなど、野外での活動がかなり一般的になってきました。HI-TECもGO OUT CAMPなどの野外イベントに参加していたりますが、完さんも屋内・屋外ともにイベントでDJとして精力的に活動されていますね。
ハイロック:そういえば完さんって当時デジタルのDJを取り入れるのめっちゃ早かったですよね。
高木:デジタルは早かったね。今はステムが楽しくてハマっちゃって。
- また、完さん自身のここ数年の活動では、2020年よりJ-WAVEのTOKYO M.A.A.D SPINでラジオDJとして活動されたり、その放送の内容を東京 IN THE FLESHの著作でまとめられたりしています。
高木:まだいろいろとやろうとしてることはいっぱいあるんだけど、最近はなんか前以上にいろいろ頼まれること多くてね(笑)
- ラジオのゲストも、近田 春夫さんや大貫 憲章さんをはじめ、ヤン富田さんなどをはじめ、かなり豪華ですね。
高木:まだまだ先輩たちの話を聞きたくて、ラジオに先輩の方々に出演いただいてるんだけど、最近はいなくなっちゃう方も多くて。
ハイロック:自分も最近は先輩の話聞いとかなきゃってなってきてますね。あの時ってどうだったんだろうなって。本当はもっと聞きたい人がいっぱいいたけど、プラスチックスの中西さんも亡くなっちゃってるじゃないですか。だから今は本で読むしかない。
- 今では本やインターネットで当時の情報は拾いやすくなりましたけど、今回のインタビューのように、やっぱり直接本人からその時の話を聞くことって大事ですよね。また本でいえばMEMES TOKYOというサイトで、完さん所有の本やレコードも販売されてますね。
高木:そう、コロナの時に時間があったからやってみたけど、最初のうちはレコード聴き直したり解説書いたりするのが面白かったんだけど結構大変で(笑)
- 今日伺わせていただいてる、こちらのご自宅のスタジオにあるアーカイブは見てても飽きないしずっと眺めていられます。
ハイロック:この部屋ってなんか外壁っぽい内装でなんか面白いスペースですよね。
高木:ここもともと弁当屋だからね(笑)もう20年前の話だけど。
ハイロック:そうなんですか(笑)
高木:はじめはちゃんとしたスタジオにしようとしてたんだけど、とっちからちゃって全然中途半端で(笑)でもK.U.D.Oくんが東京にきた時はここで作業してたりするよ。
- 20年前だとちょうどハイロックさんとお会いした頃ですかね?上もご自宅のスペースですか?
高木:ちょうどその頃だね。上は普通にリビングとか寝室とか風呂とかアーカイブ部屋みたいな感じかな。まあアーカイブというか本とレコードとかが散らかってるだけだけど(笑)だいぶ処分はしてるんだけどなかなか遅々として進まない(笑)
ハイロック:ここのスタジオスペースだけでもお宝満載なのにまだ上にもたくさんあるとは(笑)でもこの外壁みたいな壁の作り方は勉強になりますね。次に家作るときこれやりたいです。
高木:ここは音があんまり外に漏れないから爆音が出せるんだよね。いくらベッドルームミュージックって言ったって音出せなかったらあんまりやる気になんないから、音が出せるっていうのはでかいよね。でもここはもうスタジオと物置にしちゃって、今は逗子の方にも家があるから、そっちの方で色々やろうかなって思ってて。家とは別に元々母親の実家のあったところをアーカイブ部屋というか図書館みたいにして、みんなに開放して本とかレコードを読んだり聞けるような感じにね。
ハイロック:それは夢のある話ですね!ちなみに完さんはここと逗子だとどっちが地元っていう感じがしてるんですか?
高木:地元の気分としては逗子の方が居心地はいいかな。だからついついリラックスしちゃう(笑)今仕事はデータのやり取りでできちゃうけど、逗子だとのんびりしちゃう。あっという間に夜になっちゃってまずいみたいな(笑)
ハイロック:僕もそうです(笑)
高木:だから仕事の時は東京にいた方がいいよね。締め切りとかあるとまずいなって冷や汗かくこともあるし。あと逗子の家では音は鳴らせられないから、仕事するってなるとやっぱりこっち。
ハイロック:音が爆音かどうかで差はありますよね。
高木:鳴らすとやる気になるし、やらざるを得ないっていうか(笑) ずっと聞いてると寝ちゃう時もあるけど(笑)
ハイロック:今は生活サイクルはどんな感じなんですか?
高木:全然朝型だよ。朝5時か6時に起きてる。
ハイロック:自分も今4時半起きなんですよ。どんどん早くなっちゃって(笑)
高木:あと最近は子供の電子ピアノ弾いて練習したりしてる。ギターもジャカジャカジャカって遊びでやってたから、ピアノもそんな感じでできるかなって。やったらやったらで楽しくて。
ハイロック:最近始まった趣味みたいな?
高木:趣味っていうかなんだろうね。音に関してはあんまり趣味って感じはしないかな。何か掴みたいというか、芽生えさせたいというか。何か人がやってるのを見たり聞いたりするのもいいんだけど、自分でやってみて、「お!」とか「これか!」って思うことの方が意味があるというか。
ハイロック:何か掴みたいっていう気持ちはすごいわかります。
高木:コンピュータに打ち込みだけして音楽作ってると、やっぱり自分の内側に入ってっちゃうんだよね。でもピアノとかギターとかって、同じ家の中でも誰も聴いてなくても外に伝えてる感じがして。DJをやったりライブでパフォーマンスすればまた別なんだけど、やっぱり自分で音を外に出すというか、アウトプットすることが大事というかさ。デザインとかはすぐ人に見せれるから良いとか悪いとかがわりと分かりやすいけど。
ハイロック:僕もパソコンの中でデザイン作ってても、やっぱりプリントアウトして外に出すってことはやってますね。
高木:やっぱり自分の中だけで完結しちゃうんじゃなくて、外に出すことが大事だよね。楽器弾いてるとすぐ自分の駄目なところがわかるから、ここちゃんと練習しようってなるし。特に僕は楽器弾きながら歌とかラップを歌うからそれも重要なんだよね。ラジオ番組もやってるし、やっぱり声が自分の商売道具だなって最近より思うようになってきたかな。
自分さえわかればみたいなところがあったけど、これから自分が何を役割としてやっていくべきなのかなとか思ったりする。
- ちなみに完さんはスポーツなどの趣味はあったりしますか?ハイロックさんはたしかウォーキングされてましたよね?
ハイロック:そう、僕はウォーキングは結構長く続けてて、最近はさらにジムも行ってます。朝4時半に起きて6時までに全部こなすみたいな感じ。
高木:僕はここ数年はスタンドアップサーフィンかな。この歳になって初めて趣味が出来た。だからやるなら逗子のほうがいいんだけど、そればっかりやってると何も出来なくなっちゃう(笑)
ハイロック:どれくらいの頻度でやるんですか?
高木:コロナが流行ってた時はほぼ毎日のようにやってたんだけど、今は週に1回行けばいいかな。スタンドアップなんで波乗りと言っても、パドル使って自然が作る滑り台を楽しんでる感じです。
ハイロック:ローカルのお仲間もいるんですか?
高木:うん。中学の同級生がサーフィンやってて海で出会うとか、昔の学校の先輩に出会うとかもあるよ。
- 完さんとかの年代の方って体力あるなってつくづく思います。
ハイロック:体力もそうだけど気力もありますよね。あと体を動かしてると何かに気づくとかひらめきとかもありますよね。
高木:ある。羞恥心がなくなるんだ。ずるむけというか、むき出しというか。イギーポップのアルバムタイトルにあるけどRaw Powerだね。隠さないでそのままの自分でやるしかない。下手くそなところとか失敗したところとか見られるわけじゃない?そうすると羞恥心もなくなっていってそれが気持ちいいんだよね。前はカッコつけなきゃってことじゃないけど、人にどう見られているかをすごい気にしてたし。今もそれなりに気にはするけど、結構意識が変わった感じがする。気持ちいいが基本になった。
- たしかにアーティストとして活動し表現し続けるっていうことは、人に見られ続けるってことですもんね。
高木:やっぱり、若いときは自分がよけりゃいいみたいなとか、自分さえわかればみたいなところがあったけど、これから自分が何を役割としてやっていくべきなのかなとか思ったりするよね。まあ今でもその部分は残してるんだけど。
- 話は尽きないというか、もう何時間でも聞いてられちゃうんですが、最後にHI-TECが今までの50年で様々なシューズの開発にチャレンジしてきたことになぞらえて、完さんの半生を振り返ったときに、一番大きなチャレンジや人生を変える分岐点みたいなところはありましたか?
高木:チャレンジねー自分はあまり勝てなさそうな戦はやらないタイプだからな(笑)でも強いていえば、もともと学生時代からバンドやってたけど、途中からDJをやるっていう時に、結構バンドのメンバーからはカッコ悪いってブーイングだったんだよ。
- 年代で言うといつぐらいですか?
高木:84年か85年ぐらいの頃かな。その時バンドではボーカルをやってたけど、なんでボーカルがDJやるの?って。その頃はDJは楽曲作るわけじゃないし下に見られたんだよね。でも僕はDJすごいなと思ってたから、だからバンドをやるか、DJやるかぐらいな2択の感じだったの。今じゃDJがカッコ悪いなんて考えられないでしょ?
- 今ではDJは当たり前の存在になっていますが、やっぱりそういう時代もあったんですね。じゃあもともとは別にDJになりたいっていう感じではなかった?
高木:全然思ってなかった。ミュージシャンもそこまでなりたいってのもなかったんだよな。だって楽器がそんなうまいわけじゃないから。バンドがやりたい、やってきたいっていう意識はあったけど。ただDJになっちゃったらその辺意識もだいぶ変わったよね。で、DJやるならもうバンドはやめてくれみたいな雰囲気だったから、じゃあやめてやるよみたいな感じになって。今考えると自分の人生でそこが何か1つの転機だったかもしれないね。
そういう意味ではやっぱりヒロシの存在がでかかったと思う。その頃彼がこれ面白いよっていう何気ないそのときの一言がね。チャレンジとまでは言わないけど、あの瞬間が結構大きな変わり目だったと思う。そうじゃなかったらそのまま普通にバンドやってたかもしれない。
今思い出したのは、10年ちょい前の屋敷 豪太の50歳の誕生日で豪太がそれまでやってきたバンドを全部やるって企画があって。それこそメジャーフォースもやったんだけど、豪太、東京ブラボーでも昔一回ドラムやったことあって、その日にメンバー集まって久々にやったのをトシちゃんが見てて、「完ちゃん、なんでこっち続けなかったの?」って言われた時はズッコケた。当時トシちゃんがもうロックバンドやってる場合じゃない、って言ってたじゃん!って(笑)
- (笑)でもやっぱり藤原ヒロシさんとの出会いが大きかったんですね。それと、ハイロックさんは以前にインタビューさせていただた時に、これからはもっとリアルな体験や生き方の方を大事にしたいとおっしゃってましたが、それから何か変化などありましたか?
ハイロック:今日の完さんの話を聞いて、さらに原点に戻りたいってのは思ったよね。インターネットに頼らずにリアルにモノを探すとか発信するとか。さらにその思いが加速しました。
- 今ではインターネットで簡単に人やモノと繋がれはしますけど、なにか記憶に残りにくいというか。特に完さんが活動されてた長い期間はインターネットがない時代でしたが、こうやって完さんがつい昨日の出来事のようにお話しされているのを見ても、ネットよりもリアルな出会いだったり出来事の方が自分の思い出に残るっていくってことがわかります。
ハイロック:これからはよりそれをまた再現したいし、そういう話を自分の後輩にしていきたいですね。
-また、完さんは藤原ヒロシさんとの出会い、ハイロックさんはNIGOさんとの出会いが、人生の大きな変わり目だったと聞くと、やっぱり人と人とのリアルな出会いとかコミュニケーションが、人生やライフスタイルにとって、とても重要で大事なことなんだと改めて認識できますね。
HI-TECでは「新しい景色を求めて、外の世界に飛び出そう」というのを1つのブランドテーマとして掲げていますが、引き続き次の50年も、リアルな景色や体験を求めている人たちを応援し、そのチャレンジを後押しできるようなブランドを目指していきたいと思います。
ハイロック
アートディレクター
NIGO氏に師事し、アパレルブランド「ア・ベイシング・エイプ(A BATHING APE)」のグラフィックデザイナーを経て独立。20年に渡り東京・裏原宿の一大ムーブメントの中心で過ごし、ストリートカルチャーから学んだ遊び心を活かしたロゴ、グッズ、アパレルデザイン、空間デザインなどその表現は多岐に渡る。デザインワークを生業とする一方で、自身の情報サイト「HIVISION」を運営し、目利きセレクターとして雑誌やウェブマガジンにて連載するなど、メディア各方面にグッドデザインアイテム、最新のガジェットを紹介。著書に「I LOVE FND ボクがコレを選ぶ理由」
HIROCK DESIGN OFFICE:https://www.hirockdesignoffice.com/
HIVISION:https://www.hi-vision.net/
Instagram:@hirock_fnd
高木 完
音楽プロデューサー・DJ
1961年 神奈川県逗子市生まれ。79年にパンクバンド「FLESH」のヴォーカリストとしてデビューし、81年にバンド「東京ブラボー」を結成。86年に藤原ヒロシとヒップホップユニット「タイニー・パンクス(TINY PUNKS)」結成。88年には中西俊夫、屋敷豪太、K.U.D.O、藤原ヒロシらと日本初のクラブミュージック・レーベル「メジャーフォース(MAJOR FORCE)」を設立。90年代には5枚のソロアルバムをリリースし、00年代よりエイプ・サウンズ((B)APE SOUNDS)やアンダーカバーのサウンドディレクションを担当。現在はメジャーフォースの運営のほか、「TOKYO M.A.A.D SPIN」(J-WAVE)でナビゲーターを担当。また中古レコードと古書を取り扱うウェブストア「MEMES TOKYO」を運営するなど、80年代から現在に至るまで、日本のカルチャーシーンを生み出し牽引し続けるレジェンド。
MAJOR FORCE:https://majorforceproductions.com/
MEMES TOKYO:https://www.memestokyo.com/
Instagram:@kantakagi
SIERRA LITE
半世紀におよぶ歴史の中で生み出されたアイコンモデルにスポットを当て、セルフリプロダクトしていくシリーズ「Original Since」コレクションより、1978年に発表された世界初の軽量ハイキングブーツ「SIERRA LITE(シエラ・ライト)」が登場。それまで重いのが当たり前であったアウトドアシューズに“軽量”という概念を持ち込んだ、エポックメイキングモデルのオリジナルシルエットを再現しながら、日常使いしやすいディテールにモダナイズ。加水分解しにくいアウトソールやコーデュラナイロンを採用することで耐久性もアップデートしており、ブランドの創立50周年にふさわしいシグネチャーモデルとなっています。
アイテム詳細>>
SHOP LIST>>
※ショップリストページの「LIFESTYLE」アイコンが掲載されているショップをご覧ください。
※店舗によりお取り扱いがない場合もございます。
SPECIAL PLAYLIST
- RESPECT COVERS -
1988年に中西 俊夫、屋敷 豪太、K.U.D.O、高木 完、藤原ヒロシの5人により、日本初のクラブミュージックレーベルとして設立した<メジャーフォース(MAJOR FORCE)> グローバルな活動により音楽のみならずファッションやデザインなど、今に続く東京カルチャーを生み出し影響を与えて続ける、まさに音楽レーベルを超えた伝説的レーベル。
このたび、今年で50周年を迎えたHI-TECに向けて、メジャーフォースの高木 完さんと、世界トップクラスのサウンドクリエイターであるK.U.D.Oさんの2人に特別に選曲いただいた、HI-TEC限定のスペシャルなプレイリスト<RESPECT COVERS>を、音楽ストリーミングサービスのSpotify(スポティファイ)にて限定配信します。
<MAJOR FORCE MESSEGE>
MAJOR FORCEはまだルールが定っていなかったサンプリングを主軸としたプロダクションとして始まった。スタートは1988年だが、その母体は1986年のMELONとタイニー・パンクスに遡る。時代はヒップホップから始まったブレイクビーツでの音楽制作の黎明期。
ブレイクビーツの概念は音楽を開放した。
パンク以降のポストパンクがそうであったように。
今回70年代から今につながるハイテックのために、メジャーフォースとして自分とK.U.D.Oで、70年代、80年代、90年代の曲を、ZERO年代以降に制作したカバー曲を集めてプレイリストを作った。
中にはセルフカバーもある。
先人たちの楽曲に敬意と愛と、時にはユーモアを取り入れたカバー楽曲群で気持ちを解放していただけたら幸いです。
高木 完
2024年5月
※上記のプレイリスト画像またはボタンをクリックすることで、Spotify上にある限定プレイリストにリンクできます。
※Spotifyは、登録されている1億曲以上の音楽と、500万番組以上のポッドキャストが聴き放題のオーディオストリーミングサービスです。
※限定配信のプレイリストはパソコンやスマートフォン、タブレットのアプリなどで聴くことができますが、スムーズに聴くためには、Spotifyへのユーザー登録とサブスプリクションへの加入が必要です。(https://open.spotify.com/intl-ja)
※Spotifyへのユーザー登録やサブスプリクション加入方法、不具合等については、Spotifyのサポートページ・問い合わせページにて直接お問い合わせいただくようお願いいたします (https://www.spotify.com/jp/about-us/contact/)
SPECIAL CORABORATION TEE
PRESENT CAMPAIGN
創立50周年を迎えたHI-TECと、日本初のクラブミュージックレーベルとして設立した<メジャーフォース(MAJOR FORCE)>、デザイン・クリエイティブカンパニーの<ハイロックデザインオフィス(HIROCK DESIGN OFFICE)>とで、豪華なトリプルコラボレーションTシャツを特別制作。
高木 完さんのルーツでもあるパンクからインスパイアされたTシャツは、当時のセディショナリーズをオマージュし裏返しの仕様に。また、フロントの3ブランドのロゴのプリントはひび割れ感のあるクラックプリントを施しながら、オーバーダイのボディを採用することでヴィンテージな雰囲気にしています。
さらに内側にもポイントロゴがプリントされており、リバーシブルでも着用可能なこだわりのアイテムとなっています。
<HI-TEC x MAJOR FORCE x HIROCK DESIGN OFFICEトリプルコラボレーションTシャツ>は、6/17(月)- 6/30(日)の期間、HI-TEC公式インスタグラム@hitec_japanをフォローいただき、下記の応募アンケートページより応募いただいた方より、ブランド50周年にちなみ、抽選で「50名様」にプレゼント。
まさにそれぞれのレガシーが感じられるような、HI-TEC の創立50周年にふさわしい数量限定のコレクタブルなスペシャルアイテム。皆様のご応募お待ちしております。
<プレゼントキャンペーン詳細>
■応募期間:2024年 6月17日(月)- 6月30日(日)
■カラー:IVORY / BLUE JEAN / GRAY
■サイズ展開:M / L / X L
■その他詳細・注意事項
・HI-TEC公式インスタグラム@hitec_japanをフォローいただいた方のみご応募可能となります(すでにフォローいただいている方はそのまま応募いただけます)
・アンケートページでご希望のカラー・サイズをお選びください。
・3カラーそれぞれ応募いただけます(ただし複数の当選はありません)
・ご入力いただいたお送り先情報にお間違いがないようご注意ください。
・当選は2024年7月中に商品の発送をもってお知らせさせていただきます。当選・落選のお問い合わせは承ることができませんので、あらかじめご了承ください。
・商品お届け後の交換は承ることができません。
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